僕は元々作業療法士として17年間、通所リハビリと特養に勤務していました。でも、うつ病を発症し退職して今では個人事業主でWebデザイナーをしています。
作業療法士を辞めるなんてもったいない。周りの人は良く言います。でも人生は一度きりです。やりたいことに挑戦してみたいという気持ちがあるならやるべきではないでしょうか?
作業療法士になることを目指していた時
僕は元々引っ込み思案であまり人と接することが得意ではありませんでした。中学生の時にクラス全員から一斉無視をされる、嫌なあだ名で呼ばれる、僕の言動が原因で部活から追い出されるといった経験をしてきました。
でも、黙々と作業をすることは好きでした。プラモデルを作るときは完成するまでご飯も食べずに熱中するほどでしたし、テレビゲームもRPGならクリアするまで長い時間を割きましたし、格闘アクションゲームなんかはうまくできるようになるまで一生懸命練習もしました。
父親は臨床工学技士で某医療機器の販売メーカーに勤めていて、姉も看護師で医療系の職種に目が行くのは必然だったと思います。また、母親の勧めもあり作業療法士のことを知りました。手先が器用で物を作る自分にはぴったりかなと思い、目指すことにしました。
でも本当は父親が使っていたパソコンを貰ってそれに熱中していた時期や、友人とイラストを描きあったりとクリエイティブなことに強い興味を持っていました。この時は3つの道を考えていました。
1.作業療法士をめざす
これは完全に親の勧めです。自分の気持ちはあまりありませんでした。当時就職氷河期といわれ普通の企業への就職は難しいと言われていた時代で、唯一医療系だけは割と高い給料で就職できるし、作業療法士はまだ数が少なく、医療系でありながら日勤帯のみの仕事ということもあり興味を持ちました。まぁ、親にうまく洗脳されたわけですね。
2.アニメーターになる
僕は元々アニメオタクでした。イラストを描くことは好きでしたがストーリーを考えることが苦手で漫画家は無理だと思っていました。当時大好きだった(今でも好きですが)いのまたむつみ先生がアニメーターあがりのイラストレーターということでアニメの原画を書く仕事をしたいと思っていました。福岡に代々木アニメーション学院があったので受験したいと思いましたが、親の作業療法士への勧めが強く、引っ込み思案なこともあり切り出すことはできませんでした。
3.プログラマーになる
父親にPC-98を貰ってメインメモリをどこまで空けられるかということに高校生の時に没頭していました。当時のOSはMS-DOS3.3Dだったでしょうか。640KB中最高で602KBまで空けることが出来ました。いろんなフリーソフトを使ってアプリケーションに合わせてconfig.sysを切り替えて使うとかやっていて楽しくてしょうがありませんでした。現在では閉校になりましたが近くの市にコンピューター専門学校がありましてそこへ行きたいとも考えていました。
まぁ、でも親には逆らえなかったです。
結局、作業療法士になるという道しか選択肢はなかったです。それで専門学校をいくつか受けて1校受かってしまいまして、入学することになりました。
作業療法士の養成校に入って
最初に思いました。「え!?障害者?なにそれ、聞いてないよ」そうです、僕は作業療法士がどんな仕事か全くわかっていなかったんですね。漠然とリハビリの先生ということくらいで障害者を相手に治療をするとは思ってはいませんでした。当然興味もあまりありません。学校の成績は常に下の方でした。しかし、1年生の頃に父を亡くしもうこの道以外を進むことは許されなくなりました。なんとはなしに授業を受け、テストにもギリギリ合格、評価実習も臨床実習もギリギリでなんとか合格し、いざ国家試験対策というところで学力が及ばす卒業試験で落ちました。それも2回も。つまり2回留年しました。1年生や2年生での留年ならもっと勉強できたでしょうが単位をすべて取得し最後の最後で落ち続けているわけですから何もすることはありませんでした。
2年間の引きこもり生活
卒業できなかったですし、3年生のおよそ8か月くらいは臨床実習で留年はしましたが実習は合格していたので自宅待機でした。何もすることなく昼夜逆転し無為な生活を続けていました。その時代はちょうどwindows95が全盛期でインターネットが普及し始めた頃でした。実は作業療法士の養成校に通っている間もイラストは描き続けて言いました。描き貯めたイラストをホームページ作って公開してみようと思いwindows付属のメモ帳をつかってHTMLを独学で勉強して公開していました。そんなことを2年間やってました。やっぱりコンピューターがすきでしたね。
卒業試験合格を目指して
実は転機がありました。姉と同居することになり監視がつきインターネットもできなくなりました。この生活が嫌で嫌でしょうがありませんでした。でも、その時同じ2年留年した友人がいて彼のお陰で勉強を頑張ることができ、卒業試験に合格することができ、国家試験を受けることが出来ました。僕が受けたのは第33回の国家試験でした。割と簡単な第だったようで合格率も高かったです。
作業療法士になって
ホントのこと言うと就職する気はありませんでした。興味のない仕事でしたから。でも学校の先生の勧めで就職せざるを得ませんでした。そこで見つけたのが前々職の職場です。実家からも近く、通所リハビリで日勤帯の勤務。それに割と給料も高かったので応募しました。その病院もずっと療法士を探していたようでライバルの応募もなかったのですんなりと就職が決まりました。
2000年3月27日から勤務し2013年4月30日まで勤務しました。ヘルパーさんと折り合いがうまくいかず何度も辞めようと思いました。お金をためて早く辞めてやりたい仕事に代わりたいとも思っていました。でも13年努めることが出来ました。今思えば楽しい毎日でした。
2013年5月1日からは特別養護老人ホームに異動になりました。これが僕が転落していく最初の一歩でした。詳しくは「僕のうつ病体験記」を読んでいただくとわかるかと思います。
簡単に言うと、いじめ、パワハラ、嫉妬といったものに巻き込まれうつ病になりました。そして2017年11月25日に退職しました。特養の勤務は本当につらく自分が何をすればいいかわからない毎日でした。しかも夜勤まですることになり「最初の契約内容と話が違うよ」とイライラいていました。作業療法士という仕事に嫌気がさし興味は全くなくなりました。養成校に入ったときに思った「障害者?聞いてないよ」という思いもこみあげてきて、結局この仕事には向いていないことに気が付きました。
作業療法士を辞めて
何も手につかなくなりました。人が怖い。外に出るのが怖い。ハローワークにもなかなかいけませんでした。二度と作業療法士なんてしたくないと思いました。
そんな時何気なく「作業療法士 辞めた」とかで検索かけてヒットしたページをよく見てました。もうどこのブログか覚えてませんけど、「僕たち療法士は資格があることで逆に道を狭くしている。世の中を見てみなさい。資格を持っていない人は大勢いる。そしてその人たちはいろんな仕事を転々としている。療法士という資格が枷を作っているんだよ」意訳満載ですがこんなことが書いてありました。なんだか心が洗われるようですっきりした気持ちになりました。それでハローワークに行くことが出来ました。最初は別の就職口を探しましたが未経験はさすがにとおもったので何か資格が欲しいと思って職業訓練を受けることにしました。
その職業訓練は2年間引きこもってたときに作っていたホームページ作りが含まれていました。すごく熱中しました。すごく楽しかった。デザインやwebに対してすごく興味が出ました。この道に進みたいと思いました。
デザインの仕事目指して
職業訓練に通っている間も、終了後もデザイン関係の就職先を探していました。でも都会と違って、山口県周南市には求人がなかったです。隣の市に広告デザイナーの仕事がありましたので応募してみましたが、書類選考で落ちました。やはり未経験40代はかなり厳しそうでした。仕方がないので自分でやろうと開業することを決め2019年1月に税務署に開業届を出しました。個人事業主、フリーランスのwebデザイナーになりました。職業訓練では就職することが目的で、フリーランスとして仕事を得ることは教えてもらえませんでした。だからでしょうか、そう簡単に仕事は来ないものでいまだに収入はありません。少しでも足しになればと市の臨時嘱託職員の募集に応募しましたが、面接で落ちました。40代うつ病もちに就職はやっぱり厳しいようです。
でも、主軸はデザイン、とくにwebを作る仕事をしたいと思っています。引っ込み思案で人が怖いのがネックで営業が出来ていないのが一番の課題ですね。
最後に
作業療法士や理学療法士を辞めたいと思っているあなた。まず目の前にいる患者さん、利用者さんをよく見てください。困っている人をほおっておけますか?病院内での人間関係がいくら悪かろうと患者さん、利用者さんに関係はありません。しっかりみてあげてください。それでも辞めたいあなた。辞めるなら30代の内です。30代なら他の仕事がなんとか見つかります。決断は早い方がいいです。迷ってるならすぐやめた方がいいと僕は思います。
僕は作業療法士で障害者を相手にしていました。今では僕が精神障害者です。40代、未経験、精神障害者はなかなか受け入れてもらえません。自分を守るためにも早めに決断した方がいいと僕は思います。
嫌なことを頑張らなくていいんだよ。やりたいことやろうよ。