僕のうつ病体験記~その1

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人生にはいろんなことがあって、他しく仕事が出来ていても突然足元から崩れていくことを経験しました。

そして、それは、ゆっくりとそして確実に僕を追い詰めてきました。

就職から異動までの12年間(通所リハビリ時代)

色々あった専門学校時代。3年制の学校に通っていましたが、卒業試験で落ち2回の留年を経て、やっと国家試験を受けさせてもらい試験も合格。作業療法士となり最初に働いたのが通所リハビリでした。丁度2000年の春で介護保険が始まった年でもありました。

最初は右も左もわからず、ただ自分のできることをやっていました。3年ごとの介護保険の改定で個別リハビリがはじまり、各個人の計画書づくりなど書類仕事も増えていきました。パソコンができるという理由で本来事務員が行うべき仕事まで回され毎日忙しくしていましたが、まだ心に余裕はありました。

なにより目の前には僕のリハビリを待ってくれている利用者さんがいました。その方たちをなんとかしてあげたい。少しでも良くしてあげたい。僕が触れることで気持ちが少しでも和らいでくれて、その気になってもらえたらという思いでした。その中で最新のリハビリ技法(当時はCI療法とか促通反復療法とか認知運動療法とかが流行ってました)を勉強し取り入れられるものは取り入れていました。

2008年には院長と通所主任と一緒に広島まで行ってマシントレーニングの機器を見に行って、導入するということもしました。トレーニングの進め方や道具の準備なんかもしましたし、トレーニングをしたい方の順番を決めたり、関わるスタッフの確保とかいろいろやって何とか軌道に乗せました。

2010年には作業療法士の後輩も入り、ずっと一人で突っ走っていたので、わからないながらも後輩指導もしました。それと同時に学生の臨床実習を引き受けたりと後進の育成にも力を入れていました。この2010年には結婚もし一番充実していた時期でもありました。人間関係で嫌なこともありましたが、今思えばこの頃が一番楽しかったと思います。

特養に異動になるの?ならないの?(異動過渡期)

2011年の春ごろに院長と師長に呼ばれて特別養護老人ホームを作るから指導とかいろいろ頼むかもしれないという話をされました。その時は「へぇー特養造るんだ」というぐらいしか思っていませんでした。何より僕には目の前に僕を必要としている利用者さんがいましたのでそれどころじゃないといった感想でした。

特養の話はしばらくは表に出てきませんでしたが、準備は着々と進んでいたようで2012年7月に社会福祉法人が設立されていました。その頃より院長に選ばれた方々が色々と施設見学に行っていました。僕も2件ほど行かせていただきました。ただそれは特養に行くという前提ではなく通所を良くするといった意味合いが強かったように思います。そんな中異動する人材が徐々に決まっていきました。看護師長に看護師、通所の介護福祉士の3人は確定であとは誰に声がかかるかわからない状況でした。作業療法士は僕も含めて2名いましたが全く声がかかるこはなく、新人教育をしてくれといった依頼のみでした。

2013年4月には実際に特養で働く介護士をたくさん雇い入れ、工事も始まりいよいよといったところで外部講師を呼ぶことになりました。S活RビリK究所よりO氏が来ることになりました。O氏は理学療法士であったため、作業療法士の僕がお相手をすることになりました。来られるときの講義の内容や伝達などをメールで行いましたがO氏からはほとんど返信はなくどうしたらいいかわからない状況で当日を迎えグダグダで終わってしまい、全てが僕のせいになっていました。僕には通所のこともあり時間もなく忙しくしていた中で「俺の講義を受けないのはなんでだ」なんて一方的に言われたこともありました。

今思えばこのO氏との出会いが全ての始まりだったように思います。学ぶことは多く、自分が出来ていないことを痛感しました。まるで臨床実習をやり直している気分でした。「まだ僕が異動することなんて決まっていないのに、なんでそこまで責められないといけないの?」なんて思ってました。O氏との出会いで自分のもっていたちっぽけなアイデンティティは崩れ去り自信を失いました。

2013年5月に急に異動が決まり所属が社会福祉法人にかわりました。それでも上からは通所との両立をはかるように言われ中途半端な足元が落ち着かない感じがずっと続いていました。今まで自分が持っていた仕事をもう一人の作業療法士に少しずつ引き継いでいき、O氏が来るときにはドキドキしながら講義を受けたりしていました。

そんな時に師長から「なんで特養の服を着ないの?」と言われました。所属が変わったといえ建物はできておらずほとんどの時間を通所で過ごしていたので通所の制服を着ることが当然だろうと思っていました。なので自分が新人の介護士に講義をする時間だけ服を着替えることにしました。さらに「なんで一緒にご飯食べないの」って言われました。いつもと変わらず病院の食事をお金を払って食堂で食べていましたがそれがいかんというので、嫁さんに弁当を作ってもらって新人たちがいる部屋にわざわざ行ってご飯食べてまた通所に戻るということをしていました。家族にまで迷惑をかけることになって申し訳ない気持ちになりました。

この記事を書いた人

みかげうら

こーだー(仮)してるよ。
元作業療法士、臨床経験17年。

うつ / HSP / 精神障害者福祉手帳3級。